数年前に行ったベトナム旅行記
Written on April 30th , 2025 by Birusupi
はじめに
今からおよそ5年ほど前に旅行したベトナムの思い出をまとめた。
初めての海外旅行先は、ベトナムのホーチミンだった。大学生の頃、地域のテレビ局で「水曜どうでしょう」をよく見ていた。その日、サークル活動を終えて帰宅した時に「ベトナム縦断1800キロ」がたまたま放送されていて、思わず魅入ってしまった。それ以来、ベトナムの空気感をいつか体感してみたいと思っていた。
水曜どうでしょうClassic ベトナム縦断1800キロ - hod
それから数年後、社会人になり働き出してから2年ほど経った1月の末、遂にホーチミンに行くことにした。
Day 1 ホーチミン到着
まだ日本ではコートの襟を立てながら、足元をすぼめて歩くような季節だった。だけどタンソンニャット空港に降り立った途端、世界は一気に熱を帯びた。空気は甘く、水分を含んでいて、湿った熱気にむせ返りそうになるくらい。北半球同士であっても、緯度が違えばこんなにも空気の密度が変わるのかと、感心するより先に体が戸惑っていた。2月であっても平均最高気温が33℃、最低でも23℃なのだ。私の着ていた黒いウルトラライトダウンは、異国では滑稽なだけの存在になってしまった。
成田からタンソンニャット空港までは、6時間あまりのフライトだった。眠れもしない中途半端な長さで、途中、乾いた機内の空気に喉が張りつき、エコノミー症候群になりかけた。私は何度も手足を動かしてごまかしながら、水を買い忘れた自分を責めた。機内販売ではクレジットカードが使えなかった。財布は持っていたがドン(ベトナムの通貨)に変えていなかった。それ以来、飛行機に乗る前には必ず水を買う。たとえペットボトルが重たく荷物を圧迫しても、それは私にとって欠かせない習慣になった。
空港からホテルまでは、グラブタクシーを使った。東南アジアでは、ウーバーよりもグラブの鮮やかな緑色が圧倒的に存在感を放っている。車の手配はすべてスマートフォンの中で完結して、あとは車に乗り込み、無言のまま、夜の街を静かに進んでいく。ふと、シフトレバー上のドリンクホルダーに、伊藤園のジャスミン茶のペットボトルが収まっているのを見つけたとき、小さな救済のような気持ちになった。国を超えても、断片的に知っているものが浮かび上がると、安心する。なお、ホーチミンには至るところに日本のコンビニがあった。セブンイレブン、ファミリーマート、サークルK、ミニストップ…。セーブポイントとしては過剰な量の配置数だった。
宿泊先は、グランドホテルサイゴン。コロニアル建築の立派な建物で、中心街からほんの少しだけ距離を置いたような場所にあった。Booking.comで予約したそのホテルの部屋には、重たく深い色のカーテンと、ところどころにクラシックな意匠の施された木製家具が置かれていた。私はスーツケースを床に置き、しばらく窓から外を眺めていた。
遂に海外に来たぞ!
その後ホテルの目の前にあるビアホールの様な場所に入り、「SAIGON」と書かれた緑色のラベルと緑色の瓶に入ったビールを飲んで、長旅の疲れを癒やした。途端に眠気に襲われたため、ホテルに戻りシャワーを浴びてその日は早めに寝た。
Day 2 フォーとベンタイン市場
2日目の朝。ホテルのレストランでのビュッフェで朝食をとった。フォーのコーナーには大きな鍋が湯気を立てていて、好きなだけ具材を入れられるようになっていた。湯通ししたてのライスヌードルの上に、柔らかい牛肉と香草をたっぷりと乗せ、青と赤の唐辛子を落とす。その一杯を、慎重に口へ運んだ。
とても美味しい!
この旅で何軒ものフォー専門店を巡ったけれど、この朝、ホテルで食べた一杯が、いちばん記憶に残った。他のどの店よりも、澄んだスープにやさしい旨味が溶け込んでいて、香草の香りとともに上質な味わいが口の中に広がったからだ。
食後、グラブに乗ってサイゴン川を越えて2区へ向かった。1区の喧騒とは打って変わって、2区は涼やかに静まり返っていた。白壁に淡いブルーのドアを持つ北欧風の家具店や、アンティーク食器を扱う小さな店を覗いて回った。どの建物にも、鮮やかなブーゲンビリアの門番が彩りを与えていた。あの日、手に入れた皿は今でも食卓に並ぶたび、この旅を思い出させてくれる。
午後は再び1区へ戻り、ベンタイン市場をそぞろ歩いた。人混みの熱気に押されながら、布製の小さなポーチや木彫りの動物をいくつか買った。喉が渇いて、市場の屋台で氷とココナッツミルクにジャックフルーツと、おそらくマンゴスチンを混ぜたジュースを買った。スターバックスのヴェンティサイズほどあるプラスチックのボトルを手に、私はジュース屋の簡素なカウンターに座り、甘く濃密なジュースを吸い上げた。暑さで茹だる身体を芯から冷やしてくれた。
ホテルに戻って、少し長めの休憩を取った。外の空気はまだ熱を孕んでいたけれど、部屋の中はエアコンがよく効いていた。私は薄いカーテン越しの夕暮れをぼんやりと眺めながら、ベッドに横になった。旅先では、なんとなく時間がゆっくり流れているように感じる。目を閉じていても、外のバイクのクラクションや低いエンジン音がかすかに響いてくる。それが街の鼓動のように感じられた。
日が完全に暮れる前に目覚め、ホテル近くの旅行代理店に寄って翌日のメコン川クルーズのツアーを予約した。
それから再びベンタイン市場の方面に向かった。昼間の賑わいとは違い、夜の市場には少しだけ落ち着きがあった。道路沿いの屋台がぽつぽつと明かりを灯し、赤や黄色のプラスチック椅子が道端に無造作に並んでいた。背もたれのない椅子に腰を下ろし、メニューもないまま、身振りで「炒めもの」と「ビール」を頼んだ。ほどなくして運ばれてきたのは、皿に乗った熱々の肉と野菜の炒めものだった。強火でさっと炒めたそれは、どこか日本の街中華の味のようでありながら、魚醤が効いているのか香ばしくて、やはり異国の味がした。一緒に運ばれた冷たいタイガービールがよく合った。ビールが口を洗い流しながら喉を通り過ぎるたび、その炒め物の味の輪郭が少しずつはっきりしてくる気がした。
食事を終え、歩いてホテルへ戻る途中、セブンイレブンに立ち寄った。冷蔵ケースの中に整列して並ぶ缶ビールの中で、ひときわ目を引いたのが「333」と書かれた赤いラベルのビールだった。バーバーバーと読むらしい。缶を二本手に取り、レジに向かった。
ホテルの部屋に戻ると、シャワーを浴びた。熱帯の空気でまとわりついた汗と埃が、するすると洗い流されていくのを感じた。窓を少しだけ開け、買ってきたバーバーバーのプルタブを静かに引いた。夜風が気持ちいい。この日は遠くで誰かが音楽を鳴らしていた。はっきりとは聴き取れなかったが、エレキベースのリズムだけがかすかに伝わってきた。
ビールを一本、ゆっくりと飲み干し、二本目に手を伸ばす前に、私は歯を磨いてそのままベッドに横たわった。
Day 3 メコン川とミルクフルーツ
3日目。この日はメコン川に向かう。まだバイクがそれほど走ってないせいだろう。朝は不自然なくらいに静かだった。
ホテルのロビーに降りると、小さなワゴンバスが入口前に待っていた。白い車体に擦り傷が何本か走っていて、そこにこれから向かう土地の埃の気配を感じた。私のほかに乗っていたのはロシア人の夫婦だった。彼らと「グッドモーニング」と挨拶を交わし、にっこりと目線を合わせ、以降は会話することは無かった。彼ら夫婦も互いに声をかけることもなく、終始黙っていたが、無言ながら、ふたりの間には深い理解があるようだった。
ホーチミンからメコン川流域まではおよそ2時間。途中、ドライブインのような場所で休憩があった。アスファルトが照り返す熱で波打っていて、ラトソルの砂埃が舞っていた。私は目を細めながら小さな屋台の陰に入った。そこで買ったベトナム・コーヒーは、思わず笑ってしまうほど甘かった。しかし喉にするすると流れ込んだ。練乳がたっぷり底に沈んでいて、黒い液体をかき混ぜるととろみのある琥珀色になった。冷たくて、妙に体に染み込んでくる感じがあった。ああ、これは暑さとセットで存在している飲み物なんだ、と納得した。
メコン川に着くと、まず大きな船に乗り込んだ。エンジンの音が水面に響いて、遠くの岸にはバナナの葉が揺れていた。川はゆったりとしていて、時々、川沿いに水牛がのんびりと寝そべっていた。
入り組んだ水路に入ると、今度は現地の男性が手漕ぎの小舟で私たちを案内してくれた。櫂の音が静かに水を叩くたび、船はゆっくりと緑のトンネルを進んでいく。頭上を覆うようにヤシの葉が広がり、木漏れ日が水面にちらちらと踊っていた。
ガイドの女性が、「船頭の男性にチップを渡してね」と微笑みながら言った。そのとき私は、ちょうどその指定された額の紙幣を一枚だけ財布の中に持っていた。運が良かったとも言えるし、旅先での勘が働いたのかもしれない。でも、もし持っていなかったら、どうしていただろう。おそらく言葉に詰まって、愛想笑いを浮かべながら、混乱の中に沈んでいただろう…。今でも思い返すと少しヒヤッとする。
クルーズの終わりには、周辺のお土産屋をいくつか案内された。どれも似たようなものを売っていて、同じ色彩と香りが連なっていた。少し退屈していたその時、ガイドさんが呼び止めて、「このフルーツ、食べてみて。」と差し出してくれた。それがミルクフルーツだった。彼女は「私、このツアーの案内たびに毎回ここで買っていくの。街で売ってるよりずっと新鮮で甘いのよ。」と誇らしげに言った。
ミルクフルーツ / Vú sữa - VIETJO 日刊ベトナムニュース
果実はその場で切ってくれた。やや厚みのある皮を剥くと、中から半透明の果肉が現れた。
ひとくち、口に入れた瞬間、感動!
まるで良く熟れた桃と、ライチの清涼感と、杏仁豆腐の香りが一度に訪れてくるような、不思議な味だった。果肉はとろけるように甘く、それでいてまったくしつこくない。私は果肉を飲み込んだあと、舌の奥に残った甘みにしばらく集中していた。
帰りのバスに戻ると、ロシア人の夫婦はまた無言だった。私は窓の外を眺めながら、さっきのミルクフルーツの味をもう一度思い出していた。何故その時、自分でミルクフルーツの写真を撮らなかったのか…。帰国してからどのフルーツがミルクフルーツなのかを特定するのに結構苦労した。
ホテルに戻った私は、クルーズによる疲れを癒やすためしばらくベッドで寝た。 起きたらとっくに日は沈んで、どこかで犬が鳴き、バイクのクラクションが混じり、遠くから地元のバンドによるクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「雨を見たかい」が聴こえた。
Day 4 旅の締めくくり
4日目最終日。
朝は比較的ゆっくり起きた。これまでの行程で足も少し重たくなっていたし、フライトは夕方だったから、急ぐ理由もなかった。ホテルで軽めの朝食をとり、チェックアウトを済ませ、スーツケースはフロントに預けておいた。外は相変わらず蒸し暑く、日差しは容赦なく降り注いでいたが、4日目となると身体は慣れていた。
この日は観光らしい観光をまとめてこなすつもりで、市内の主要なスポットをいくつか巡った。まず向かったのは中央郵便局。19世紀末に建てられた建物で、鮮やかな黄色い外壁が特徴的だった。朝の時間帯だったからか、それほど混雑しておらず、外観の写真を数枚撮ったあと、ゆっくり中に入った。内部は広々としていて、天井のアーチが印象的だった。右手にはお土産を売る小さな店が並び、正面奥の壁には大きなホー・チ・ミンの肖像が掲げられていた。
そのまま歩いて統一会堂へ。旧南ベトナム政権の大統領官邸だった場所で、今は観光客向けに公開されている。入口でチケットを買い、敷地に足を踏み入れる。建物は思っていたよりも広く、構造も複雑だった。応接室、執務室、記者会見場などが当時のまま保存されていて、それぞれに説明文が添えられていた。階段を下りると、地下に通じていた。地下には作戦室や無線室があり、分厚いコンクリートの壁に囲まれた空間には、かつてここにあった緊張感がうっすらと残っているようだった。
昼食はその近くのカフェで簡単に済ませた。冷たいバインミーとライムジュース。観光地価格で少し割高だったが、静かな店内でゆっくりできたのはありがたかった。カフェの椅子に深く腰掛けながら、カメラで撮ったこの旅で歩いた場所や食べたものをおさらいした。
午後は戦争証跡博物館に足を運んだ。ベトナム戦争に関する展示が中心で、建物の前には戦車や戦闘ヘリが並んでいた。
中に入ると、当時の写真や記録映像、兵士の持ち物、爆弾の残骸、そして被害者の証言などが数多く展示されていた。説明文は英語や日本語でも書かれていて、理解しやすかったが、内容は重たかった。観光地というよりも、戦争の現実を後世に伝えるための、生々しい証言と記録が詰まった場所だった。
夕方前にホテルに戻り、ロビーで荷物を受け取った。少しだけ冷房の効いたソファで休みながら、空港までの道のりを確認した。街はまだざわめいていて、道路にはいつものようにバイクが列をなして走っていた。
最後のグラブに乗り込む直前、ふと後ろを振り返った。建物の影から夕日が差していて、ほんの少し街全体が赤みを帯びて見えた。
ベトナムは、楽しかった。想像していたよりもずっと人の顔がやさしかったし、食べ物が美味しかったし、時間がゆるやかだった。
帰りの便は、定刻を過ぎても一向に動く気配がなかった。搭乗口の前で座って待つ乗客たちの顔には、次第に諦めと疲労のようなものが浮かびはじめていた。特にアナウンスもなく、たまに電光掲示板が更新されるたび、ただ「さらに遅れ」の表示だけが増えていく。そんな様子をぼんやりと眺めながら、私はペットボトルの水を少しずつ飲んでいた。
結局、離陸は3時間遅れた。原因はよくわからなかったが、何かしらの「トラブル」という曖昧な言葉で処理されていた。ベトジェットエア。価格が安いこともあって今回選んだが、正直なところ信頼感は揺らいだ。空港での待機中、周囲の乗客たちが繰り返し時間を確認していたのも、妙に記憶に残っている。
機内に入ってからも特別な謝罪があるわけではなく、乗務員の動きもどこか慣れてしまっているようだった。もしかしたら、こうした遅れは日常的に起きているのかもしれない。だとすれば、次にまたこの航空会社を使う気にはなれないだろう。
空の上では、何もする気が起きなかった。本を開いても、文字が頭に入ってこなかったし、外はずっと雲に覆われていて、地上の景色はほとんど見えなかった。
こうして初めての海外旅行は終わった。
この旅行記を書いているとき、ホーチミンの熱気も、フォーの湯気も、ミルクフルーツの透き通った甘さも、すべてが確かにそこにあって、この身で体験したのだ、という事実がかけがえのないものなのだと思えてきた。結局、最終日に巡った観光名所のことよりも、屋台の椅子に座って飲んだビールや、川を進む小舟の静かな揺れの方が、強く心に残っていたことが分かった。
おわり。
P.S.
この旅からほんの2週間後、世界はコロナのパンデミックで一変した。ホーチミンも例外ではなく、空港は制限され、人の流れは止まり、観光どころではなくなっていたらしい。